東京地方裁判所 平成11年(ワ)18876号 判決
原告 A
右訴訟代理人弁護士 土谷明
被告 渡邉彰浩
右訴訟代理人弁護士 飯野紀夫
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成九年六月二〇日から支払済みまで年五パーセントの割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、被告により性器の形成手術を受けたところ、右手術に際しての縫合が不全であった過失により、右手術箇所から出血し、それが原因となって原告に神経症が発症し、精神的に損害を受けたと主張して、被告に対し、慰謝料金五〇〇万円の支払を請求する事案である。
一 争いのない事実
1 原告は、平成九年六月二〇日、東京都立川市曙町二丁目七番一九号中村ビル四階所在の立川美容・形成外科医院(以下「立川医院」という。)において、立川医院に勤務していた被告の執刀によって、性器(小陰唇)の形成手術(以下「本件手術」という。)を受けた(なお、右手術の際、原告は、本名ではなく「B」という変名を用いた。)。
2 原告が右手術を受けて帰宅した後、手術を受けた箇所付近から出血した(以下「本件出血」という。)。
3 被告は、同日午後七時三〇分ころ、再び立川医院を訪れた原告に対し、同人の出血箇所を結紮する方法で止血した。
二 争点
本件の争点は、本件出血が被告の縫合不全を原因とするものであるか、本件出血により原告に神経症が発症したかである。
1 原告の主張
本件出血の原因は、本件手術における手術箇所の縫合不全である。右縫合不全に起因して手術箇所から大量に出血したことにより、原告には、本件手術の日から今日に至るまで、赤い物を見たり、血液を見たりすると動悸がするなどの神経症が発症した。
2 被告の主張
本件出血は、左の小陰唇部の縫合部より発生したものであるが、これは、陰部自体毛細血管が豊富であるために起こる毛細血管からの滲みだし出血(ウージング)であり、縫合不全が原因ではない。縫合不全とは、通常、縫合すべき部分を縫合していなかったり、動脈結紮を行わなかった場合をいうのであり、被告は、本件手術において、そのような縫合不全はしていない。また、手術後出血した人が神経症になるという因果関係は医学的に認められていないものである。
第三当裁判所の判断
一1 前記争いのない事実並びに証拠(甲第一号証、乙第一、第二号証、原告本人及び被告本人尋問の各結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実を認定できる。
(一) 本件手術は、原告の小陰唇肥大部分を切除することを内容としていた。
本件手術は平成九年六月二〇日午前一一時二〇分ころに開始され、被告は、右肥大部分を切除した後、切除箇所を電気メスで凝固させた上、絹糸で結紮する方法により止血を行った。本件手術は、開始後約一五分から二〇分で終了し、結果は成功であった。
(二) 被告は、原告の手術箇所からの止血状態を確認した上、原告の帰宅を許可した。原告が帰宅する際、立川医院の看護婦は、原告に対し、術後の一般的注意事項として、<1>アルコール飲用の禁止、<2>運動の禁止、<3>自転車に乗る等患部を摩擦刺激することの禁止を申し渡した。
(三) 原告は、同日午後二時ころ帰宅したが、帰宅後、トイレに行く際に患部に張ってあったガーゼをはがしたところ、ガーゼにはそれほど沢山ではないが、血が付着していた。また、本件手術箇所付近から若干量の出血があったため、午後二時三〇分ころ、原告は、被告に対し、出血が続いているが問題ないかと電話で尋ねた。被告は、この出血は通常の術後の毛細血管からの出血であり、自然に止血するものであると判断し、原告に対し、ガーゼを交換して患部を圧迫し、様子を見るよう指示した。
その後、同日午後五時ころ、再び原告から被告に対して出血しているという電話があった。この時原告は相当興奮しており、パニックに近い状態であった。被告は、原告に対し、タクシーに乗って立川医院を受診するよう指示したが、原告は立川医院は自宅から遠くていけないと返答した。そこで、被告は、原告に対し、自宅の近所の産婦人科医院で受診するよう勧め、原告は、近所の産婦人科医院まで五、六分かけて歩いて行った。右医院の医師は、同日午後六時三〇分ころ、被告に対し、原告が来院したが、どう処置していいかわからない、原告に出血があるので、患部のガーゼの交換(包交)のみをして、タクシーで原告を立川医院に向かわせると電話で連絡をした上、原告の身体に付着した血を洗浄し、おむつを三枚はかせ、それ以上止血のため特別の措置をしないで、原告をタクシーで立川医院に向かわせた。
(四) 原告は、同日午後七時ころ、立川医院に到着した。診察室で被告が原告のおむつを取ったところ、直径一〇センチメートルくらいの大きさの血がついていた。被告が出血箇所を見たところ、原告の左小陰唇部の縫合部の一部に、毛細血管からの滲みだし出血(ウージング)が存在したので、原告は、絹糸で一針結紮することによってこれを止血した。右出血は毛細血管からの出血であったものであるから、多少大きめのガーゼを当てて股に挟んで横になっていれば止血できたものであるが、原告がパニック状態に陥っていたため、被告は右の方法を採らなかった。
当時原告の眼球結膜は多少蒼白気味であったものの、原告が来院した際の血圧は上一一二、下六三であり、原告はショック状態にはなかった。被告は、原告のおむつに付着した血液の量などからして、原告の出血量は三〇〇ミリリットル程度であり、全身状態に影響のない範囲のものであると判断し、出血量の三倍程度点滴をすれば循環動態は保たれると考え、生理食塩水一〇〇〇ミリリットルの静脈点滴を行ったところ、原告は快方に向かった。そこで、被告は、原告に心配ないことを告げ、タクシーで帰宅させた。
(五) その後は、本件手術の手術箇所から再び出血することはなかった。
2 ところで、原告は、本件手術をして帰宅した後大量に出血したと主張し、血が本件手術箇所から水のように流れて自宅の寝室やトイレが血だらけになったなどと供述する(甲第一号証の記載及び原告本人尋問の結果)。
しかしながら、前記認定のように、原告が出血後に近所の産婦人科医院まで五、六分かけて歩いて行けたこと、同医院では止血のため特段の措置を講ずることもなく、原告を一人でタクシーに乗せ立川医院に向かわせたこと、原告が立川医院に再度来院した時点における血圧は上一一二、下六三で、原告はショック状態にはなく、生理食塩水一〇〇〇ミリリットルの静脈点滴のみによって快方に向かったものであること、また、被告本人尋問の結果によれば、陰唇部は、毛細血管しかなく、動脈が切れて出血するなどという事態は生じないと認められること等を総合すると、本件手術後に原告が供述するように大量出血があったとは認めることができない。大量出血に関する甲第一号証の記載及び原告本人尋問の結果はいずれも信用し難い。
なお、原告は、手術の翌々日くらいに近くの医師に見てもらったところ、ヘモグロビン値が約九・七まで下がっていたと供述する。しかしながら、乙第三号証によれば、ヘモグロビン値(血色素量)についての女性の基準範囲は、一デシリットル中一一・三グラムないし一五・三グラムであると認められるところ、被告本人尋問の結果によれば、急性の出血の場合、一五〇ミリリットルの出血でヘモグロビン値が一グラム下がるのが一般的であり、三〇〇ミリリットル程度の出血によってヘモグロビン値が約九・七まで下がることは十分あり得ると認められるから、原告が供述するヘモグロビン値の低下は、大量に出血したとの原告の主張を裏付けるものではない(なお、前記のように、被告は、本件出血の量は三〇〇ミリリットル程度であると判断し、出血量の三倍程度点滴をすれば循環動態は保たれると考え、生理食塩水一〇〇〇ミリリットルの点滴をしたところ、原告は快方に向かったことが認められるのである。)。
二 前記認定のとおり、本件出血は毛細血管からの滲みだし出血であって、それほど大量に出血したものとは認められないところ、証拠(乙第二号証、被告本人尋問の結果)によれば、本件手術の手術箇所である小陰唇部は、そもそも毛細血管が豊富であるため出血しやすい部位であって、術後に圧迫による止血がしにくい部位であり(そのため、被告は、通常、切開部は十分に電気凝固させ、かつ、切開部の縫合は、大きく組織をかけての結紮と通常の結紮とを交互に行い、術後に出血していないことを確認した後に帰宅させるという方法を採っていること、更なる出血予防策を採るとすれば、切開部全体を大きくかけて縫合することになるが、この方法では圧迫による組織壊死や術後腫脹による糸の食い込みによる疼痛、糸の跡が残るなどの問題が発生するのであり、一般的ではないことが認められる。)、手術箇所からの出血それ自体は特別異常なものではないと認められる。そして、証拠(乙第二号証、被告本人尋問の結果)によれば、本件出血の原因としては、原告が患部のガーゼを取ったり、不安にかられて動き回ったことによって患部の圧迫が十分になされなかった可能性が考えられるというべきである。
そうすると、本件出血が被告の縫合不全などの手術の不手際を原因とするものであるとは認め難く、本件手術において被告に過失があったとは認められないというべきである。
三 また、原告は、病院で治療を受けているとしながら、医師の診断書等神経症の発症を裏付ける証拠を提出していないし、原告本人尋問においては神経症でなくうつ病であると診断されたと供述しているものであり、本件出血が原因となって原告が神経症に罹患したという事実を認めることもできないというべきである。
四 よって、原告の本件請求は、いずれにしても理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大坪丘 裁判官 浦木厚利 裁判官 辛島明)